雲南市議会映像アーカイブ

令和5年 3月定例会

宇都宮晃 議員
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1.新型コロナウイルス感染症の五類への政策転換について
政府は、新型コロナウイルスの感染症法上の分類を5月8日に季節性インフルエンザなどと同じ「五類」に引き下げることを決めた。新型コロナを特別な感染症として扱う対応は段階的に縮小し、暮らしや経済活動に大きな影響を与えた「コロナ禍」の政策は、国内での発生から3年あまりで大きく転換する。
五類変更後の対応として、①医療費の公費負担は一定期間、継続、②ワクチン接種は必要に応じて4月以降も自己負担なしで受けられるよう検討、③マスクの着用は屋内外を問わず原則、個人の判断、④政府は新型コロナウイルス感染症対策本部を廃止、⑤検疫法に基づく入国者への水際対策は終了,など8項目が示された。しかし、島根県内感染者数は16万人を超え、死者数も300人に近づく状況である。保健所職員、医療・福祉従事者のストレスは計り知れない。医療費・ワクチン接種の公費負担、医療機関への経済支援が継続されなければ、把握されない患者と死者は増え続け、これまで以上の各種ダメ-ジを受けると考える。市長の見解を問う。
2.学校でのマスク着用について
学校の卒業式をめぐり、永岡文部科学相が記者会見で、「マスクを外すことを基本とする」
という方針を各地の教育委員会に通知したと発表した。これに対し、保護者や教員からは歓迎や困惑など様々な声があがった。国の政策転換について、長期間にわたりクラブ活動や文化祭などの学校行事の制約が続く生徒からは、「海外はとっくにマスク生活を終えている。自由をください」との願いがある。一方、マスクの使用については、自らを感染から守る手段となるだけでなく、感染者が周囲にウイルスをまき散らすことを防ぐという意味では重要である。難病を抱えるハイリスク者は「健康と命を守ることも忘れないで」との訴えもある。教育長の見解を問う。
3.人権について
コロナウイルスに対する世界の国々の行動規制を見てみると、マスクをしてください、ワクチンを打ってください、自主規制してくださいと、日本を含み多くの国々が、何々してくださいとのお願いであり、強制的に何々しなさいとはなっていないことが多いことに気付き、改めて、憲法など、人の行動規範を見てみることにした。まず、憲法についてである。
日本の憲法では、一.基本的人権の保護と、二.政府の支配をできるだけ抑制することを二大要素とすると書かれている。この二大要素については、第二次世界大戦で国家総動員法により国民が強制的に動員されたことなどからの反省によるものと思われる。ここで、二大要素の一つである基本的人権について見てみる。
日本国憲法第十二条には、この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならないとあり、国民各人が人間として生活し国家の一員として活動するときに当然に認められなければならない基本的な権利である。
しかし、ここには続いて、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふとも書かれている。つまり、基本的人権は、社会や国民全ての人々の幸福をも考えなければならないとのことだと思う。
今、日本では、人権は自分の権利を強く主張する方が多いように思うが、周りの人たち、みんなの人権を認め合うことも大切であり、義務であると考える。この公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふということをみんなで考え、理解して行動すれば、よりよい社会になるものと思われる。対コロナについても、みんなの行動の参考になると考えるがいかがであろうか。市長の見解を問う。
4.道徳について
私が小学生の頃、つまり六十数年前のことであるが、学校で、「自分が言いたいことを言う前に、まず自分がすべきことをしなさい」、つまり、権利よりも義務を優先させなさいと言われたことを覚えている。憲法の中には、納税、勤労、就学の三大義務が書かれているが、私が教わった義務は、先ほどの社会や国民全ての人々の幸福のための義務、または道徳としての義務だったものと思われる。
しかし今、学校教育や社会で、道徳について、この権利よりも義務を優先させなさいというようなことは聞いたことがなく、私が幼い頃の道徳と今の道徳は少し変わってきているように思う。現在、学校教育において教えられている道徳は、考え議論する道徳、他人と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を育む、または命を大切にする心や善悪の判断を学ぶとある。これらは、今増加している子供たちのいじめや自殺の防止のためのもののように思う。
そこで、質問する。コロナウイルス対策では、何々してくださいとのことしか言えない状況であったが、憲法の基本的人権の中には、人権は公共の福祉という限界が、つまり、社会や他人のことを思いやる心を持つことという意味合いのことも明記され、そして、憲法とは別に、道徳的な考え方として、命を大切にする心や善悪の判断を学ぶ、または考え議論する道徳、そして、自らが言いたいことを言う前にまず自らがやるべきことをやるとの視点が大切であると考える。
各人自らが、コロナ禍の中、何をどうするべきなのかをもっとしっかりと考え、議論する必要があるものと思うが、いかがであろうか。教育長と副市長に問う。
5.タブレットの活用について
GIGAスク-ルでタブレットを活用した教育が進められているが、これを利用して、一村一品運動ならぬ一人一得意技家庭内学習なるものができないものかと考えてみた。
タブレットを利用して,子供たち一人一人が、またはグル-プが、自分に合った得意技を持てるようにする一人一得意技家庭内学習を行ってはと考える。俳句や囲碁、将棋、けん玉のような、学校教育としてはやりにくいものでも可能であり、それぞれの分野で専門あるいは得意とする方々により、ボランティアの先生として教えていただければと考える。
そうすれば、その得意技の学習に集中することにより、鬱や自傷、そして暴れる子供達は少なくなり、自分に自信がもてるようにもなり、また人としての幅が広がり、人生教育にもつながり、そして家族みんなで行えば家庭の和にもつながる、妙案ではないだろうか。ボランティアの先生方も、子供たちに自分の専門や得意技を伝授できる喜びから、新たな生きがいを持てるものと思う。ぜひ学校側がまとめ役となって、子供たちとボランティアの先生方をマッチングするようにしてはと考える。いかがであろうか、教育部長に問う。
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